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陸上競技クラブチーム"SNE Athletes"の公式ブログ

#11 大和千秋選手 ”やりたい!時が1番歩ける”

2018年4月15日
輪島で行われた女子50km競歩
歴史に残る5時間だった。
 
 
昨年のロンドン世界陸上競技選手県大会において、世界大会史上初となる女子50km競歩のレースが開催された。50km競歩廃止の声も上がる中、 陸上界としては大きな前進であった。
 
 
しかしその場にサンライズレッドの姿はなかった。日本には女子が50km競歩選手を選考するためのレースがなかったからだ。
 
 
それから平成最後の年となった今年4月、ついに日本陸連主催の女子50km競歩のレースが執り行われた。
 
 
 
その史上初の50km競歩選手としていち早く、 出場に名乗りをあげていた選手がいる。
 
 
大和千秋、その人だ。
 
高校時代は全国経験もなかったが、大学入学後ブレイク。 日本選手権入賞などを重ね、卒業後は長野県の飯田病院所属選手として成長してきた。
 
 
彼女の競技観は今日に至るまで、大きく変わってきている。そんな彼女の現在の心境について、詳しく訊くことができた。その内容をお伝えする。
 
 
 

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大和千秋-須坂園芸高-中部学院大-飯田病院 20kmWの自己ベストは1時間35分58秒。高校時代は全国区という訳ではなかったが、大学進学以降、日本選手権入賞などを重ね、長野県の実業団「飯田病院」所属選手として活躍。




 

 
―合宿お疲れ様でした。 神戸の日本選手権でお会いしたのが最後だったので、合宿で会うのは実に半年ぶりでした。その間、日本国内初の女子50km競歩開催,その初回選手として出場され、堂々の完歩(4時間48分46秒)を果たされました 。
 
 
大和 合宿ではあんまり久し振り感なかったね(笑)
 
50kmは皆さんの応援やサポート,アドバイスがあり、無事にゴールできました。それからレースには何本か出たけど、今は精神的にちょっとお休み中。軽めに練習しながら最低限歩く感触を忘れないようにして、次の目標を探ってる段階です。
 
 
―今後のスケジュールはまだ特に決めていないんですね。
 
 
大和 全日本実業団選手権は回避しようと思っています。高畠の50kmは捨て切れないけど、今後の競技キャリアはまだまだ続くし、そういった長い目で見ると焦って出ようとしなくても良いのかなと考えてもいます。 もう少し様子を見て決めることですね。
 
 
50km競歩出場の経緯
 
 
―そもそも、なぜ輪島の50kmに出場しようと決意されたんですか?
 
 
大和 以前から50km競歩自体に強い興味がありました。自分は短い距離より長い距離の方が味が出ると思っていて。2016年後半から2017年前半にかけての冬シーズン、各種目で自己ベスト更新が続いた時期があったのですが、そのときは25kmとか30kmとかやっても非常に高いレベルで歩けていて、「女子にも50kmがあったら良いのにな」なんて頭の片隅で呟いていました。
 
 
―そんな中2017年の輪島で、2018年の女子50km競歩開催がアナウンスされました。
 
 
大和 これは出るしかないと思いましたね(笑) で、その後すぐに50kmを意識し始め、トラックシーズンが終わってから本格的に長い距離のトレーニングに移行しました。
 
 
 
本番に向けて
 
 
―その50km初レースは4時間48分46秒で4位という結果でした。振り返ってみてどうですか?
 
大和 まずは完歩できてホッとしました。でもゴールしてからジワジワ悔しさが込み上げてきて、もっとやれたなっていう想いが強くなりました。元々4時間30~40分を視野に入れて準備していたのですが、調整に移る時期に腰を痛めてしまい、レースの14~7日前の期間はほぼ練習することができない状態でした。仕事には出ていたので、日常生活は通常通り過ごせていたのですが…。
 
 
―僕もレース前にそれを聞いていて、びっくりしました。周りの反応は?
 
 
大和 コーチと相談して、多少の痛みがあっても出場する予定でした。職場の方々は「本当に出るの?」って感じで、止めようとしていたみたいです。でもレース直前に痛みは引き、お陰さまで完歩できましたが、ブランクが出来てしまったせいか動きの感覚が噛み合わず、不安などもあり少し物足りない結果に終わってしまいました。
 

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前列左-先頭集団で果敢に攻めた 撮影 @dsdsdskoi300 さん



 
 
―改めて、レースまではどういった流れでしたか?
 
 
大和 昨年のトラックシーズンが終わってから本格的に長い距離を中心とした練習を積み始めて、12月には練習の一環で東京で行われたフルマラソン競歩で出場したりしました。サブ4を狙っていたのですが、給水が普通の水ばかりで、歩いている途中に極度のエネルギー不足を体験しました。なんとかゴールはしましたが…。そこでレース中のエネルギー補給の大切さを諸に実感して、勝木(隼人,自衛隊体育学校)くんや樋熊(敬史,NWS)さんを始めとする周りの50km選手にアドバイスをもらいながらエネルギー戦略について自分なりに考えました。本番の50kmではそれが活きて、最後までエネルギー不足を感じることなく歩き切ることができました。
 
 
―その直後の元旦競歩10kmは50分16秒でした。
 
 
大和 それまで長い距離の練習がメインだったこともあって、 スピードに自信がありませんでした。実際にレース中もキレが感じられず、身体ばかりがキツくなって心肺機能の部分で全く辛さを感じなかったので、とにかく身体が速い動きに付いて感触です。
 
 
―その2月の日本選手権20kmでは持ち直しました(1時間39分47秒)。
 
 
大和  1月に宮崎県で行われた実業団の合宿に参加させて頂いて、暖かい環境でインターバル系のトレーニングを積んだので少し速い動きを取り戻せて、その結果です。自己ベストと比較すると物足りないけど、50kmを見据えながらのレースなので、想定の範囲内でした。
 
それからちょっとだけ休んですぐに50kmに切り替えました。週1回の頻度で30kmを歩いたり、ロングインターバルをやったり、長い距離中心の時期を作った格好です。このときに少し無理をし過ぎた感じがあって。今思えば、練習量が増えてるのに食事とかケアとかを、身体にかかる負荷に見合ったレベルで考えられてなかった。やっぱり負荷の高い練習をすればそのぶん休まなきゃいけないし、ストレッチとかマッサージとかもしなきゃいけないし、何より食べなきゃいけない。腰を痛めてから、この基本的な部分の大切さを痛感しました。
 
 
―レース中はどうでしたか? 
 
 
大和 先頭集団はスタートから5分20秒/km前後で推移していました。序盤はその集団のなかで歩いていたのですが、 フルマラソンの際のエネルギー切れ,腰の不安など、恐れるものがいくつかあったのもあり、集団から離れてしまいました。
 
 
―でもその後、しっかり粘ることができました
 
 
大和 はい。アナウンスで谷内さんが私のことを紹介してくださっていて、集団から遅れたときも前向きなことを言ってくださって、沿道の方々の応援もあり、気持ちを切らすことなく後半も歩けました。
 
また、同じコースを歩いていた男子選手が集会抜かしの際に声をかけてださって、それもとても力になりました。
 
 
―50kmの旅路は楽しかったですか?
 
 
大和 歩いているときは完歩することだけ考えていて余裕があまりなかったのですが、振り返ってみて本当に楽しかったと思いました。
 
応援とかアナウンスがとても会場を盛り上げてくれて、ゴールした後の男子選手とかスペシャルドリンクテーブルにいた人たちとか、そういった皆さんの顔を毎周回見るのが楽しみで、キツイ気分も少し紛らわすことができました。
 
 
”競技を愉しむことが1番大事”
 
 
―これからの競技キャリアはいかがですか?
 
 
大和 今までは2020年の東京オリンピックを目標にしていました。でも今はどちらと言うと、競歩を自分自身が愉しんで、それを周りに伝えていけるような競技人生を歩みたいし、そういった感性もより一層育んでいきたいです。
 
 
私は大学を卒業してから飯田病院で競技をやらせて頂いて、本当に恵まれた環境で過ごしました。普通の社会人だと練習の時間を取ること自体が大変なんだろうけど、その辺りは早く仕事をあがらせて頂ける等の配慮をしてくださったし、病院ということもあって検査とかも優遇されていて、周りもたくさん応援してくれて、至れり尽くせりでした。
 
でもそんな環境にいたからこそ、自分で自分を追い詰めるようになりました。
 
大学のときは、例えば調子が悪くてモチベーションが上がらない時、 練習を多少休んだりしても周りになにか言われるということはありませんでした。大学は休みたいときはしっかり休んで、モチベーションを回復させたいという私の我が儘を受け入れてくれる環境で、私自身もそのような行動を取りやすいカテゴリーでした。
 
しかし大学を卒業して飯田病院で実業団選手として過ごす間、そういった思考にはなれませんでした。 支援されてるからには結果を出さなければならないという気持ちが強くなって、 調子が良いときは 特に気にしなかったのが、不調や怪我で落ち目なときは結果を出すことに対する強迫観念で、自滅していきました。こんなに良い環境で競技をやっているのに調子良く歩けないのは自分の努力が足りないからだ, やる気が出ないなんて甘ったれだ, って考えてしまって、それがより一層自分の調子を落とす方向に向かわせてしまい、という悪循環。大好きな競歩をやっているはずなのに、どうしてこんな思いをしなきゃいけないの?って、どんどん自己嫌悪に陥っていきました。なんだかなって感じだよね(笑)
 
 
―よくわかります。もっと低いレベルですが、僕もそのような時期が過去にあって、自分の内側からのやる気より外側からのプライドが上回ってたときは、何をしてもうまくいきませんでした。自分ならできるはずだ、こんなものじゃない。そう奮い立たせようとする度に結果という現実が立ち塞がって、更にモチベーションが下がる。 "歯車が噛み合わない"とはまさにこのことです。
 
 
大和 調子が良かったときはやりたいやりたい!っていう内から湧き出てくる気持ちで進んでるときだよね。 競歩を真の意味で愉しめてないと、そういった感情にはなれない。
 
 
飯田病院の方々には本当に感謝しています。ここまで競技を極めてこられたのは皆様のお陰です。今回はたまたまライフサイクルが変わることで所属を離れることになったので、これを期に競歩を愉しむ方向から競技に取り組んでいこうと思っています。
 
 
―最後に、競歩に取り組む若い選手達にひとことお願いします。
 
 
大和 まずは競歩を愉しんで欲しい。自分から競歩をやりたい!って思って練習しているときがきっと1番歩けるはずだから。
 
競歩は特に、最後まで諦めなければ何があるかわからないスポーツです。上の選手が失格するかもしれないし、大きく失速してくるかもしれない。同じように、競歩を少しずつでもやり続けながら年を重ねていけば、私が50kmに挑戦できたように、もしかしたらチャンスが巡ってくるかもしれない。しかも競歩を通じて色んな人に会える。
 
もちろんみんな競歩以外にも自分の生活があって、それがあっての競歩だと思うのでそれぞれが楽しくハッピーに過ごせるような頑張り方ができるようになって欲しいです。
 
あとね、ちょっとまとまらないんですけど、2017年頃から父が競歩を始めたんです。「千秋、どうやったらもっと速く歩けるかな?」とかって、帰省する度に訊いてきて、競歩を始めたばかりの自分をみているようで、すごい懐かしい感じがしてるんです。
 
この始めたてのフレッシュな好奇心とか,愉しさっていうのを忘れないことが自分にとって大事なことなんだなって思ってます。これこそが"初心忘れるべからず"なのかな、と。
 
 
―興味深いお話、ありがとうございました。これからも競歩人生を愉しんでください!